Blog de Iberoamigos

 

「スペイン歌曲って、何ですか?」

Categoría : 音楽  Megumi Tani  2009 年 7 月 28 日   17:17

過日の私の第19回リサイタルご案内に嬉しいコメントをいただきました。ホッとして、リサイタル恒例の悩みを書かせていただきたくなりました。恒例かつ最大の悩み、それはスペイン語!です。リサイタルのお客様の大半はスペイン語をご存じありません。言葉の壁にいつもご不満が出ます。下記は、拙ブログ(7月24日付)の転載です。Blog de Iberoamigosでお読みいただくのは申し訳ないような内容ですが…。

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いつもコンサートに足を運んでくださる方からお便りをいただいた。「リサイタルを楽しみにしています。ところで今さらですが、スペイン歌曲というのは何ですか?スペインの曲をスペイン語で歌うことですか?外国の曲をスペイン語で歌うことですか?カルメンもスペイン歌曲ですか?」とある。「とんだ音楽音痴でごめんなさい」と私を気遣ってくださってもいる。なるほど…。これが大半のお客様の本音だろう。親しく応援してくださる気持ちから、勇気をもって書いてくださったのだ。

スペイン歌曲とは、スペインの作曲家による声楽作品の総称である。日本とは事情が異なり、各地の民謡を編曲した作品も多い。スペインの伝統的なオペレッタであるサルスエラや、オペラもある。スペイン語圏という広い世界に目を向ければ、中南米の作曲家の作品も私のレパートリーに含まれる。ちなみにフランスの作曲家ビゼーが作曲したオペラ「カルメン」はスペイン歌曲ではない。

スペイン歌曲をスペイン語で歌う。言葉の壁は承知している。それでも原語で歌う。「歌」とは、詞、旋律、リズムが一体になったものと考えるからだ。歌詞をすげかえれば、それは別の作品になってしまう。たったひとつの言葉でも、それをどの音にどんなリズムで乗せるか、作曲家が込めた思いを大切にしたい。もちろん言語の構造から来る訳詞の難しさもある。スペイン語では一つの音符にのせられる言葉が、日本語では三倍くらい?の長さになる。オリジナルの内容をすべて表そうとすれば、どの曲も7番も8番もある歌になってしまう。素晴らしく魅力的な訳で広く人々に知られている曲があるが、これはもう訳詞ではなく「作詞」である。言葉の都合で原詞とかけ離れた内容になっていれば、これは別の作品だ。

意味の分からない歌を延々と聞かされるのは間違いなく苦痛である。コンサートでは、スペイン語での演奏にできるだけ寄り添っていただけるよう努める。「歌詞大意」をお渡しし、演奏の合間にはオシャベリで曲の内容、エピソードをご紹介をする。気に入れば拍手をしていただき、笑いたければ遠慮なく笑っていただく。コンサートを忍耐の時間にしたくない。また、してはいけないと思う。「スペイン語が分からないから…」その言葉を思わず忘れて、心から楽しんでいただきたいのだ。

最後はありったけの想いをこめて、歌う。音楽の力を信じて、歌う。それでも、ご不満は出る。でも本当に、それしかできない。

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お客様のお気持ちもよく分かるのです。しかし一方で、どれほど尽くしても、ただただ「言葉が、言葉が、、、」と言い続ける方々を前に、自分が女ドン・キホーテのように感じられることがあります。私は、どこへ向って、何に向って歌っているの?

でも、それでも、歌おう、と思うのです。スペインの歌が本当に大好きなのです。

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カタラン語

Categoría : スペイン, スペイン語  natilla    05:24

p7221828バルセロナを中心とするカタルーニャ地方では、カタラン語が実質上第一言語となっています。私の解釈では、スペイン語(いわゆるカステジャーノ)と併記しなければいけないと思っているのですが、実際は、市役所の手紙などはカタラン語のみで書かれています。カタルーニャ州政府から援助を受けている学校(公立も私立も)はカタラン語で授業をしなければいけないそうです。大学も、先生がどちらの言葉を話すかによって、カタラン語orスペイン語の授業になるかが決まります。その先生を採用する場合も、カタラン語のレベルが一つの判断基準になるようです。

そんな状況で、カタラン語が分からないと、いろいろな点で不便を感じるようになりました。カタラン語を第一言語にしている州政府には反発を感じているものの、それなりに偉いと思うのが、州内に住む外国人向けに無料カタラン語クラスを開催していることです。初級レベル(1~3段階)はテキスト代(約10~15ユーロ)のみで、各段階45~30時間の授業を受けることができます。

という訳で、私も7月の集中コースに行ってきました。6月30日から7月22日までの月~木の9時~12時15分まで(間に20分の休憩あり)。Basico-1、まったくの初心者クラスで、直説法の現在形レベルです。授業は、全部カタラン語で進められます。先生の説明はもちろん、生徒からの質問も、できるだけカタラン語を使うように言われ、生徒同士の会話練習が頻繁に行われます。私は、自分の言いたいことがスムーズに出てこないことにフラストレーションが溜まり、頭が破裂しそうな毎日でした。

生徒はほとんどがラテンアメリカから来た人々で、彼らにとってはカタラン語に少し接していれば何となく分かるようになるみたいです。先生の言うことがだいたい分るようだし、会話練習の時もスペイン語をカタラン風に発音して、それっぽく話すのが上手です。逆に、どうしてもスペイン語の発音が抜けないこともあります。(例えば、ZがSに、GIがJIの発音になるとか。)

そんなある日、ふと気が付いたことがあります。休憩時間にいつも皆、隣のバルでコーヒーなどを飲みながらおしゃべりしていたのですが、たいていはスペイン語で話していて、その時、私は自分が言いたいことがスムーズに言えている事で、とても解放感のようなものを感じていていました。それが「スペイン語だったら、こんなに話ができるのだ」というような満足感・達成感となっていたのです(あ、でも、これは相対的な問題)。そして、約20年前にスペイン語があまり分からない状態でバルセロナに来て、語学学校でも下宿先でも会話がほとんど出来なかった時のことを思い出しました。

最初の授業に来た人数から最終的にはずいぶん減りましたが、10人ほどが残り、とても良い雰囲気のクラスでした。最後までいた人々の電話番号とメルアドのリストを作り、最後の日は皆で少しずつお菓子を持ち寄って、隣のバルで1時間ほどおしゃべりをして終わりました。隣のバルの人も、私達がカタラン語のクラスの生徒だと知ってからは、カタラン語で注文しないと分からない振りをして、環境を整えてくれました(!!??)。

頭が破裂しそうな状態ではありましたが、終わってみると、カタラン語の新聞やテレビドラマがかなり理解できるようになっていて(これも、あくまでも、以前と比べてということですけど)、驚いたのと嬉しいのと。

最初は、「カタラン語なんて、スペイン語と似ているに違いない」と高を括っていましたが、物事を学ぶ時には、素直で謙虚な気持ちが必要だという事を実感しました。

いろいろな意味で、良い経験でした。Basico-2(過去形・未来形)の授業を取るかどうかは、仕事と自分の体力と相談して決めます。ちなみに、Basico-3は、1と2の総まとめで、3が終わるとたいていの会話ができるようになるのだそうです。接続法はその上のクラスになります。それにしても、こちらのテキストはなぜあんなに大きくて厚くて重いのでしょう。

(さて、写真のどの人が先生でしょう。ヒントは、カタラン人男性です。)

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